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  • 風俗街の歴史、調べてみました【茨城県~水戸・土浦編~】

    風俗街の歴史、調べてみました【茨城県~水戸・土浦編~】

    日本一のソープ街・吉原は、江戸時代の風俗=遊女たちが集う遊郭を原型として、発展してきたことはよく知られていることと思います。   実は吉原以外にも、過去の歴史や流れを引き継いでいる風俗街・繁華街はすごく多いんです。 歴史を知れば、いつも通う街にもさらに愛着が出るかも!?   「ブラ○○リ」を見て思いついたネタですが、前回に引き続きまたやってみようと思います(前回記事はこちらから→『風俗街の歴史、調べてみました【東京~新宿・品川・池袋・渋谷編~】』。   今回は「都道府県別 魅力度ランキング」で 連続最下位を獲得中、 少しかわいそうな茨城県をフォローしてみたいと思います。   【水戸黄門も通っていた遊郭とは!?】   茨城県で風俗といえば、水戸市と土浦市が有名です。   水戸はなんと言っても、水戸徳川家の城下町として栄えてきた歴史がある街です。   それだけに美術館や博物館も多く、さらには日本三大庭園のひとつ「偕楽園」など、観光スポットも充実しています。   現在、水戸の店舗型風俗はJR水戸駅から徒歩だと15~20分程度の距離にある天王町に集中しています。   ソープ店も多く現存している風格ある風俗街ですが、誕生したのはどうやら戦後からのことのようです。   ちょっとややこしいのですが、江戸時代の水戸には遊郭がなく、花街が大工町、武隈町というところにあったそうです。   その花街とはまた別に、戦後に奈良屋町一帯に風俗街が誕生しました。   現在はこの奈良屋町という地名は残っていませんが、その名残が天王町に引き継がれているようです。   遊郭と花街(花柳とも)は、あまり厳密に区別できないのですが、それでもざっくり分けて説明すると、   公に認められた遊女屋が集まり、塀や堀で仕切られたのが遊郭。なんと言っても吉原が有名ですね。   花街というのは芸妓屋などが集まっているエリアを指す単語です。   京都の祇園などを連想する方が多いと思います。   花街は料理屋・待合茶屋・芸者屋(置屋)という3業態が中心といわれています(「三業地」とも呼ばれることもあったそうです)。   現代でも待合茶屋、置屋を一部の花街で見ることができますが、どこも普通に芸者さんの芸とともに飲食を楽しむだけの形態になっています。   ですが、江戸時代の待合茶屋は布団など寝具が備えられた、遊女と寝る用意がある店舗が多かったそうです。   さらに置屋には芸も売るけど、体も売るという芸者(娼妓)も用意されていたといいます。   実は明治・大正・昭和と時代を経るにつれて少しずつ規制が入りましたが、それでも売春防止法(1957年)が施行されるまでは、   多くの花街に芸妓と娼妓の両方がいたのです。   当時は花街も広義でくくれば遊郭だったわけです。今は整理されたので何となく区分できますが、もともと区別が非常に曖昧なんです。   ちなみに水戸といえば、水戸黄門こと徳川光圀が有名ですよね。   ご隠居様ときたら実はかなりやんちゃな人で、若いころは遊郭にも出入りしていたというエピソードがあるほど。   ただ光圀は基本的には江戸在住でした。もし本当に遊郭へ出入りしていたとしても、水戸ではなくそれは江戸・吉原だったと思われます。残念。     【ソープ街・土浦市桜町は明治時代から】   脱線しまくりました、茨城県の風俗街の話題に戻ります。茨城県土浦市には水戸市を上回る、いえ北関東一の規模の風俗街・桜町があります。   土浦市は茨城県南部の中心都市ですが、江戸時代から水戸街道の宿場町、土浦城の城下町として栄えました。   もちろん江戸の当時から遊郭なり花街があったと思われますが、土浦市桜町が花街としてにぎわうようになったのは明治・大正からとなります。   土浦市は日本国内第2位の大きさを誇る湖・霞ヶ浦に面していますが、この霞ヶ浦を利用して水上機の練習を行おうと、1921年に霞ヶ浦海軍航空隊が開設されます。   そしてその航空隊に所属する軍人たちのために、料亭・料理屋、そして芸者さんたちが集められ、花街が形成されました。   これが現在にも続いているソープ街の原型となったんですね。   なお桜町から徒歩数分のところに、山本五十六をはじめとする、有名軍人たちも通い詰めたという料亭が現在でも元気に営業中です。   美味しい料理を味わいながら、江戸~戦前戦中を思いしのぶのもいいかもしれません。   いかがでしたでしょうか。   本当は北関東3県をまとめて1本の記事にしようと思ったのですが、予想以上に長くなりそうなので茨城県単体としました。   積み重なる歴史にロマンを感じつつ、現代の遊郭たる風俗街に遊びに行ってみませんか?

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  • 風俗街の歴史、調べてみました【東京~新宿・品川・池袋・渋谷編~】

    風俗街の歴史、調べてみました【東京~新宿・品川・池袋・渋谷編~】

    日本一のソープ街・吉原は、江戸時代の風俗=花魁(おいらん)を筆頭とする遊女たちが集う遊郭が元となり、発展してきたことはよく知られていることと思います。       吉原は現在の地名でいえば東京都台東区千束付近となりますが、その台東区や地元商店街主導で、江戸時代の「花魁道中」を再現する催しが行われています。   ニュースなどでご覧になったことにあるかと思いますが、観光客を誘致しつつ、伝統と文化を引き継ごうとがんばっているわけですね。       実は吉原以外にも、東京には江戸時代の歴史や流れを引き継いでいる風俗街はすごく多いんです。   歴史を知れば、いつも通っている東京の風俗街に、より愛着が出るかも!?「ブラ○○リ」を見て思いついたネタですが、とりあえずやってみます。       まずは現在の東京を代表する風俗街、新宿・渋谷・池袋・品川の歴史から。       【今も昔も新宿は歓楽街だった!】   東京、いえ世界最大級の歓楽街・新宿は江戸時代から宿場町・内藤新宿として栄えてきた街です。   甲州街道や青梅街道が交わる基点であり、街道を行き交う旅人や商人の休憩所といった意味合いのエリアでした。       新宿は田畑が広がる郊外でしたが、江戸時代になり街道が整備されると、その街道を軸に宿場町が広がり、人が集まりはじめます。人が集まれば自然とできるのが風俗街。   新宿ではいつしか「岡場所」も繁盛するようになりました。吉原などが公認された遊郭であったのに対して、非公認の遊郭を岡場所といいます。       こういった岡場所にいた遊女は、大抵の場合「飯盛女」です。   単語のとおり本来は旅籠で男性客の給仕を行う女性を指していましたが、転じて食事だけではなく、夜の相手も勤めちゃうようになったわけです。       というのも、岡場所は非公認遊郭なので、堂々と遊女を旅籠に置くことができません。   ですから、食事の世話をする従業員ですよ、というエクスキューズをして女性を在店させていたわけです。       これは公然の秘密というやつで幕府もその存在に気づいており、新宿の飯盛女は何人までに抑えろという命令を発布していたりします。     飯盛女のなかには本当に給仕だけを行う従業員もいましたし、兼業も多かったようです。当然吉原よりもランクは落ちますが、その分安価で気軽に遊べることで人気を博しました。       吉原で最高ランクの遊女である花魁を相手にしようとすると、吉原内の独自ルールが細かく制定されており、とてつもないお金と時間と手間がかかりました。   そのため、「お高くとまっている」と吉原を揶揄し、気安い新宿の飯盛女を持ち上げる風潮が江戸っ子たちの一部に生まれたのです。実際、そんな狂歌なども数多く残っています。       【吉原と並び称される規模だった品川宿】     新宿のように、江戸から各地方都市へ向けた各街道沿いには宿場町があり、大抵の場合、風俗街も存在していたようです。   特に大きな街道の宿場町である品川(東海道)、板橋(中山道)、千住(日光街道、奥州街道)と新宿は、あわせて「四宿」と呼ばれ、大変栄えていました。   ※画像はイメージ   板橋は今ではすっかり住宅街ですが、品川・千住(現在の北千住駅周辺)は今でもシティホテルや飲食店、それに風俗店も多いエリアですよね。     特に品川は東海道五十三次における最初の宿場町として大変に栄え、それにともない風俗街としての規模もかなり大きかったようです。何せその規模は「東の吉原、西の品川」と並び称されるほど。   品川の遊女・岡場所を題材とした落語「品川心中」なんかも有名ですが、それだけ多くの江戸っ子に親しまれていた街だったのです。       また、河川・海に面しているだけに、屋形船や釣り船を生業とする「船宿」も品川には多かったのです。   船宿の2階部分が連れ込み、現在のラブホテルのような役割を果たすことも多々あったのだとか。   また吉原には川船で通うと便利なので、吉原への発着場兼待機室という役割をあわせ持っていたようで、船宿は紳士の社交場としてもにぎわいを見せたといいます。       もちろん、そういった男性を目当てに女性を用意する船宿もあったそうです。   桜の季節には花見、夏には納涼や花火見物といった具合に、物見遊山で屋形船は活躍したそうです。きっと隣にはお酌してくれる女性もいたことでしょう。粋なことで、うらやましい限りです。       【昔はパッとしなかった池袋・渋谷】   一方で、現在は東京を代表する風俗街としてにぎわいを見せている渋谷や池袋は、江戸時代はパッとしない街だったようです。   池袋は地名のとおり湿地帯。田んぼが広がるばかりで、近在の名所といえば、せいぜい鬼子母神や巣鴨の地蔵が有名なぐらい。     ※画像はイメージ     渋谷のほうはといえば、武家屋敷が集積する土地だったようです。ただ武家屋敷とはいっても大名の「下屋敷」が多かったようです。   大名が居住する「上屋敷」と違って、「下屋敷」とは郊外の別邸で、庭園や農地が造営されたり、あるいは国許から送り届けられた荷を揚げるための屋敷です。   普段は管理人ぐらいしかいなかったようですから、当時の渋谷はとてもにぎわっていたとはいえない街でした。     ただ、現在はラブホテル街となっている円山町に、神奈川県の大山までつながる大山街道の宿場町が広がっていたようです。   ですが規模はさほどでもなく、渋谷の街が発達しだしたのは、電車が通じるようになった明治・大正以降のこととなります。     跡継ぎたる男子の誕生が喜ばれる時代だったことに加え、関東近郊の各地から江戸へ男性が出稼ぎにきますし、さらに日本中から参勤交代で武士がやってきます。   武士たちのほとんどは単身赴任ですから、江戸時代の江戸の男女比はおおよそ2:1程度。       それだけに吉原や岡場所は隆盛となり、一部の人気が高い遊女は、現在のアイドルのようなもてはやされ方をしたとか。   何だ、結局現代とやっていることと変わらないなと改めて認識したところで、積み重なる歴史にロマンを感じつつ、現代の遊郭たる風俗街に遊びに行ってみませんか?

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